ペンを額に

霜月のブログ。当ブログは記事に大いに作品のネタバレを含みます。合わない方はバックしてください。

【救いなし】記憶を覗かれた後

「わたくしをここから出しなさい!次期ツェントであるわたくしにこんなことをして、許されると―――!」

バタン。まだ話している途中だというのに、あの男は退出の挨拶もなしに勝手に出てゆきました。
次期ツェントに対して何という不遜な態度でしょう!
自身をエグランティーヌの文官だと言いましたが、あの女にお似合いの無能な部下ですこと。

どうやらエグランティーヌはわたくしが得るはずだったグルトリスハイトを掠め取り、王位を簒奪したようです。
本当に、カーオサイファのような人。
わたくしが玉座に返り咲いた暁には、どうしてくれましょうか。ふふ。

それよりも、髪と服装です。
あの日、フェルディナンドに夜這いをかけられて、そのまま意識を失ってから今日まで髪は結い上げられもせず、寝衣姿のままなのです。
先程の文官もいやらしい目で寝衣姿のわたくしを見ていた気がします。
いくらわたくしの服を取り寄せるように言っても、周りの人間は全く言うことを聞きません。
次期ツェントの指示に従わず、身分も弁えない者たちのせいでわたくしの日常は困ったことになっているのです。
せめてマルティナを寄越しても良いでしょうに。


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ガチャ
複数の男が入ってきます。
「手を出せ」
「っ!わたくしに命令――!」

勝手に腕を掴まれ手枷が外されます。そう、今までシュタープ封じの枷を嵌められていたのです。

「……やっと、ですの。」
嬉しさなど感じませんわ。これが当たり前というものですから。
とりあえずヴァッシェンです。これでやっと頭の油っぽさと痒さから解放されるでしょう。

「……何故出ないの!?」
わたくしの手にどうやってもシュタープが出ないのです。

「お前のメダルは破棄された。よってシュタープは使えない。今後はあらゆる領地に移送されるだろう」
「メダル破棄?……誰がそんなことを!」

わたくしの問いには答えず、言いたいことを言った男たちはまるで誰一人わたくしに関心がないように部屋を後にしたのです。
メダル……破棄。
わたくし、わたくしが一体何をしたというの!?
次期ツェントであるわたくしが、こんな辱めを受けて。
……誰がしかの陰謀を感じます。ありもしない罪をでっちあげて、わたくしを罪人に仕立て上げた者がいるはずよ!
お母様、お母様助けてくださいませ!

今まで生きてきて、わたくしの周りにシュタープをもっていない人物などおりませんでした。
持っていないのは貴族院に入る前の幼子とランツェナーヴェの者たちだけです。
わたくし、これからどうすればいいの。


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長い耐え難い移動を経て、どうやら北の領地にやってきたようです。
寒い。何故上掛けがないの。
いつになったら、わたくしは解放されるの。
もう少しよ。
わたくしのためにいろんな人が根回しをして……

わたくしは次期ツェント。
次期ツェントは人から崇められ、畏れられ、敬われる存在。
人々はわたくしが次期ツェントであることを求めているのですもの。
いつでも、それに相応しい態度でなければなりませんわ。

わたくしは白くて狭い部屋に入りました。
早速、部屋に足りないあらゆる物を注文します。
わたくしを連れてきた人間が、次期ツェントであるわたくしの威光にやっと気づいたのでしょう。
驚いた顔をして恐れおののき部屋から出ていきました。あの様子ならわたくしの願いが叶うのも早いかしら?

いくらか経つと、使用人が食事を運んできました。
パンとスープ、それだけ。
この領地はわたくしをとことん辱めると決めたようです。
涙が出そうになりましたが、わたくしは泣きません。次期ツェントですから。
しかし、エーヴィリーベの厳しさは闇の神の元で育ったわたくしにはたいそう辛く、
幾度湯を要求しても出てくるのはシュネーアストの息吹を受けたような水だけでした。


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幾つ目の領地でしょうか。
わたくしの髪はいつの間にか短髪にさせられていました。
まるで殿方のよう。
いくら抗議をしても、誰も、何も、反応しません。
耳が悪いのかしら。
そう思ってさらに声を高くしてあげたというのに「うるさい。黙れ」ですって!
なんて無礼者でしょう。

それに腕も足も筋肉と脂肪が無くなってずいぶん細くなってしまったわ。
きっと入浴を手伝う側仕えが見たら嘆くでしょうね。

今日はなんだか、とても疲労を感じます。
さっき食事をしたばかりなのに……
 

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どうやらわたくし中央に戻ってきたようです。
やっと、ツェントとして戴冠されるのですわ。
どんなにか長かったでしょう。いいえ、こんなこと言ってられませんわね。
これから忙しくなるはずよ。
まずは身を清めて、香油でマッサージしてもらわなければ。
それから戴冠式のときに身につける服装や装飾品も自分の目で見て決めたいわ。
ツェントの格に相応しく豪華なのは当たり前、その上で品の良いもの選んで……
わたくしの周囲も慌ただしく動いてるのを感じます。

「もうお前は中央から移動しない。今日はツェントのご温情でお前の好物を用意してくださるそうだ。希望はあるか」

晴れの日に相応しい質問ですこと。
わたくしは思いつくまま希望する食事を述べました。
しかしやってきたのは、希望した食事の中の一品だけでした。
全くツェントの資金手繰りも相当窮しているようですわね。
ますますわたくしがツェントになってランツェナーヴェとの交易を密にしなければならないと実感しました。

結局、半分ほど食べるとお腹いっぱいになってしまいました。
もしかしてわたくしの食事量を把握していた者がいて、それで一品だけだったのかも知れません。
その者は側仕えとして優秀なようですから、戴冠後召し上げてもよろしくてよ。

寝台に横になりました。
なんだか、強く疲労感を感じます。
瞼を開けることさえ億劫で、何故か空腹感も強いです。

次第に体が痛くなってきました。
誰かに強く掴まれているような、そんな痛さです。
お水……お水が飲みたいわ。
誰か飲ませて頂戴。
もう自分では動けないのですもの。
ねぇ、早く……


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ディートリンデは数十年、あらゆる領地で魔力を搾取され続けました。
ユルゲンシュミットが安定し、罪人の魔力が必要とされなくなった頃
用済み大罪人として中央で全ての魔力を取られました。

私のなかのディートリンデはいつまでも自称次期ツェントです。
ポジティブシンキングが凄い女、代表。
彼女の大いなる美点でもあり、改善することのない欠点でもある;