ペンを額に

霜月のブログ。当ブログは記事に大いに作品のネタバレを含みます。合わない方はバックしてください。

一角獣

【寮にて】

アレキサンドリアの初代アウブとしての就任式を明日に控えた大事な夜、寮にあるアウブ専用の部屋でローゼマインは首を傾けた。

「ねぇ、リーゼレータ。あちらに何か感じませんか?」

「北西の方ですか?わたくしは特に何も感じません。あちらは貴族院だけかと存じますが……」

「……少し外に出ても良いかしら?」

「なりませんローゼマイン様、もう就寝するお時間です。こんな夜更けに出歩いてはいけません」

「そうですよね。ごめんなさい」

ローゼマインは既に寝衣姿である、リーゼレータは主が何を考えているのか掴みかねていた。

「フェルディナンド様ではございませんか?」

「フェルディナンド様……?そうですね。そうかも知れません。でも、やはり……行かなくては」

ふら、と立ち上がりそのまま扉を出て行こうとする。

「お待ちください!どうされたのですか?ローゼマイン様。教えてくださいませ」

ひとまず主の意識を扉から離さなければならない。
長椅子に誘導し、理由を聞き出そうとする。

「あちらの方角に何かいるのです。それで、わたくしは行かなければならなくて……」

どこかぼんやりとした顔で目線が定まっていない。
自分が何をしているのか、よく分かっていないようだ。
中央でローゼマインが神々から干渉を受ける可能性について、事前にフェルディナンドから忠告を受けていた。
そして何かあればすぐに連絡するように、と厳命もされている。
リーゼレータはグレーティアに目配せをした。
一つ頷いたグレーティアがオルドナンツを飛ばすため部屋を出ていく。

「ローゼマイン様?外に出るならば着替えをしなくてはなりませんよ?」

「そうですね、リーゼレータ。簡単に着られるものを着せてちょうだい。早く行かないといけないの……」

「かしこまりました」

リーゼレータはいつもより殊更丁寧にローゼマインに衣装を着つけ始めた。



貴族院寮の三階は原則男子禁制である。
グレーティアからローゼマインの様子がおかしいと報告を受けたフェルディナンドは階段前で待機するほかない。
オルドナンツでの報告では、ローゼマインが北西に何かを感じ外に出たがって止まらないようだ。
報告を聞く限り神々が干渉してきたわけではなさそうだが楽観は出来ない。
中央はフェルディナンドにとって鬼門だった。




「ローゼマイン様、一体何を考えて……!?」

一階へ降りる階段を塞ぐようにフェルディナンドが立ち塞がっているのを、まるで無視するかのようにローゼマインが通り過ぎていく。

「お待ちください!」

「フェルディナンド様?」

「一体どこへいらっしゃるおつもりですか?」

「あちらです」

「あちら、とはどこです?」

「分かりません」

「明日はアウブ就任式があることを理解していらっしゃいますか?」

「……はい」

「では、もう今夜は休みなさい」

「でも、行かないと。大丈夫ですよ、すぐ帰ってきますから」

「……あちらには何が?」

「……さぁ?わたくしも知りたいです」

「ともかく、こんな夜更けに女性が外を出歩くなど有り得ません。……ローゼマイン様、お戻りください」

さぁ、と差し出された手をローゼマインは途方に暮れた瞳で見つめる。

「……わたくし、一人で行けますから」

フェルディナンドの手を取ることなく、スタスタと階段を降りていく。
そのまま中央棟への転移陣に向かおうとするローゼマインの背に大きなため息がかけられた。

「分かった。……一緒に行こう」

「一緒に行ってくださるのですか?」

「それしかあるまい」

差し出された手を、今度はローゼマインは拒むことは無かった。



【中央棟にて】

領主会議の時期であるので、寮に繋がる中央棟の扉は施錠されてはいない。
けれどこんな夜更けに出歩いている人間など皆無であった。

「ふふ、夜の学校とか病院って少し怖いですよね」

「何を呑気な」

エスコートの手に魔術具を乗せ、側近には聞かれないように会話をする。

「ここは中央、ツェントの居城だぞ。そんな場所を深夜に徘徊とは怪しすぎるにもほどがある」

暗に、ランツェナーヴェの者たちと同じだぞと言われて、ローゼマインは困惑した。

「そんなつもりではないのです。……あ、こっちです」

ローゼマインがこっちと言った場所は回廊から外れる暗闇の森だった。
深夜の森は危険すぎる。だがローゼマインを一人で行かすわけにもいかない。
周囲を固め、騎獣で飛ばす方が安全だとフェルディナンドは結論を下した。

「今から騎獣で森に入る。深夜の森は長居したい場所ではないため、かなりの速さを出すだろう。遅れずに付いてくるように」

側近たちが了承したのを確認すると、自らの騎獣を出しローゼマインを相乗りさせる。

「方向と、分かれば距離も教えてくれ」

「方向はあちらですね。距離は正確には分かりませんが、寮にいたときよりも大分近づいていることだけは分かります」

レームブルックの寮に突撃することだけはなさそうだ、とフェルディナンドは一人安堵する。
淡い月光の中、ローゼマインの示す方向に一直線に騎獣を駆る。
魔力を薄く伸ばせばお互いの位置も知れるので、はぐれる者は出なかった。



「あれは何でしょう?」

遠くに明るく照らされている場所をローゼマインが差し示す。
近づくとそれは円形の大きな湖だということが分かった。
おかしいのは湖が月光に照らされているのではなく、湖自体が発光していて周囲を明るく照らしていることだ。

貴族院の二十不思議に追加案件でしょうか?」

「それは後で考えてくれ。君が感じていたものの正体はコレか?」

「多分ここだと思います」






【湖畔にて】


「フリュートレーネの夜を思い出しますね」

「……もう時期は過ぎているはずだが」

根っからの研究者気質であるフェルディナンドは、周囲の警戒を護衛騎士たちに任せ思考に耽っている。

「あ、冷たい」

「勝手に触るのではない!」

一瞬でも目を離すと何かし出かすのがローゼマインだった。
水面に触れた手は濡れて、ひどく冷たそうである。
フェルディナンドは胸元からハンカチを取り出すとローゼマインの手を拭う。

「何が起こるのか分からぬのに不用意に手を出してはならぬ。身体も冷えて体調を崩しかねないというのに、全く君は……」


そのとき酷く澄んだ音が聞こえた。
ハッとして振り向くと湖の上に一頭の馬がいて、こちらを見つめていた。
ただの馬でないことはすぐに分かった。
なぜなら水面に立っているし、白とも銀とも言えないような体は淡い光に包まれていたからだ。
その神気さえ感じさせる気配に、フェルディナンドの警戒心は即座に跳ね上がる。
シュタープを出し、ローゼマインを背後に庇う。


「あの方みたいですね。わたくしを呼んでいたのって」

一応の警戒態勢を取ってはいるが内心警戒すべき相手なのか護衛騎士たちが困惑するなか、ローゼマインの呑気な声が響く。
その声を聞きつけたかのように白い馬は徐に近づいてきた。
想像していたよりも巨体なその馬は比例するように蹄も大きく、引き締まった筋肉とその堂々たる佇まいは美しいの一言である。
そして一番に目を引いたのは、その額から天を衝くような鋭い角が生えていることだった。



両者睨み合いの状態が続くこと数分。
ローゼマインがフェルディナンドの後ろでごそごそと動き出した。

「あの、フェルディナンド様?わたくし、その方にお会いしたかったのですけれど……」

「危険すぎる。動くのではない」

「……先程水面に手を触れたのは、何故だかそうしなくてはならない気持ちになったからなのです。そして今度はわたくし、その方の角に触れなくてはいけない気分なのです」

「……」

大神の祠でそのような気分になったことはフェルディナンドにもあった。
許可を出さなければ永遠に終わらない雰囲気である。

「迂闊なことはしないように、全て相談しなさい」

ローゼマインは頷くと、ゆっくりとその一角獣に近づいた。

「わたくしを呼んでいたのは貴方ですよね?」

じっと見つめれば、じっと見つめ返される。
手を伸ばし、そっと、その角に触れる。


『そうだね』

「えっ!?」

「どうした、ローゼマイン!」

「あの、声が聞こえて」

『僕の声は角を触っている者にしか聞こえないよ?』

「あ、そうなのですか……」

「ローゼマイン、今すぐそれから離れなさい!」

「違うのです、フェルディナンド様!どうやら角に触っているとこの方と会話出来るようです」

『でも、男性は勘弁してね』

「でも、男性は嫌だそうです」

「……」




「お尋ねしても良いですか?何故わたくしを呼んだのでしょう?」

『女王に魔力を注いで貰うためだよ』

「女王?わたくしは女王ではないのですが……」

『確かに今の礎は限りなくメスティオノーラの御力で満たされているけれど、貴女の魔力も少なからず入っている。何故だか隣の男性も似ているけどね。けれど、僕は男性から魔力を貰う趣味は無いよ。貴女が礎を染めたのではないの?』

「それは、そうなのですけれど」

『じゃあ、この角に魔力を流して欲しい』

「魔力ですか?どうして?」

『成長のために必要なんだ』

「成長……」



一度角から手を放し、フェルディナンドに向き直る。

「成長のためにわたくしの魔力が必要みたいです。魔力をあげても良いですか?」

「君が魔力を注ぐ必要性を感じられない。断りなさい」




「断るようにと言われてしまいました」

『貴女は自分の魔力を使うのに他人の許可が必要なのかい?』

女王が他者に従ってどうすると、やおら厳しい目で見つめられた。

「フェルディナンド様はわたくしのことが心配で言っているのです。分かりにくいかも知れませんが……」

『そう……。僕たちの一族はとても長命なんだ。ユルゲンシュミットに女王が立つこと自体が稀で、その女王から魔力を貰えるかも分からないから、長命でないとやっていけないっていうのもあるんだけど……』

気まずそうに前足で水面を掻きながら話し出した内容は、どうやら彼らの生態についてだった。

『……女王から魔力をもらえないと、僕らは成獣にはなれない。もうずっと独りきりだよ。昔はもっと間隔が狭かったみたいだけど、最近では女王なんて全く立たなくなってしまって……。だからやっと貴女が現れて嬉しかったんだ』

ユルゲンシュミットにメスティオノーラの書を持った王が現れなくなって久しい。女王なんてそれ以上に現れていないだろう。

「もしかして、貴方の一族は絶滅の危機に瀕しているのですか?」

『いくら長命といっても限りはあるからね』



「フェルディナンド様!わたくしこの方に魔力を注ぎます!」

「ハァ……言うと思った。少し待ちなさい。君が魔力を注ぐことによって君自身が害を被ることはないのかきちんと確認してからにしなさい」




『害はないと思うけど、魔力は消費するね。それに成長すれば角は生え変わるから元の角は貴女にあげるよ』

魔力を消費する以外に害は無いそうで、元の角はくれると話したところでマッド魂に火がついたのかフェルディナンドは目の前の一角獣を敵ではなく素材として見始めた。

「よろしい。許可する」

「フェルディナンド様、この方は素材ではありませんからね!」

「分かっている。はやく始めなさい」


膨れ面のローゼマインが一角獣に向き直り角に魔力を注いでいく。
おそらく注がれた魔力が新しい角を作るためのエネルギーとなるのだろう。
魔力が注がれるほど国境門のように角は虹色に輝いていった。

『あ、もう大丈夫みたい。そのまま角を掴んでてくれる?』

ローゼマインがぎゅっと角を掴んでると、一角獣がやおら首を振り回してローゼマインの体は持っていかれた。

「きゃあ!」

「どうした!?」

「角を掴んでて欲しいって」

「折ろうとしているのか?」

フェルディナンドがローゼマインの手の上から抑えるように角を掴む。
安定を得たのか、もう一度首を振ると今度はポキッとあっけなく角は折れた。
長さ50センチほどある美しい角が二人の手に残された。

「ほぉ……」

角はフェルディナンドにお任せして、ローゼマインは一角獣の成長を見守った。
額にある切り口が虹色に光り、そこから水が湧くように魔力が出てきている。
スッと角の形を象ったかと思うと、次の瞬間にはもう立派な角が生えていた。
フェルディナンドの手の中にある元の角はシンプルな細長い円錐形であるが、
新しい角は螺旋状に天を衝いていた。
ローゼマインはそろりと触れる。

「とても綺麗です」

『ありがとう。貴女のおかげだね』

「わたくしは魔力を注いだだけですから」

『……僕、この新しい角結構好きだな。ねぇ、鬣も数本あげる』

「え?」

『もちろん中のほうを切ってね。外側の鬣は切っちゃ嫌だよ』

「わ、わかりました」

シュタープを出し、シェーレと唱える。
内側の鬣は風や日光に晒されることがないのでより艶やかに輝いている。
数本を頂戴していると、フェルディナンドとユストクスが興味深くこちらを見ていることに気づいた。
純粋な好意でくれたこの鬣はあげちゃいけない感じがする。ローゼマインはムムっと眉に力を入れた。


「ハルトムート、この鬣の管理は任せますね」

「畏まりました」

ハルトムートに渡してしまえば、フェルディナンドもユストクスも手出しは出来まい。



「鬣も角もありがとう存じます。大事にしますね」

新しい角を得て成獣になった一角獣はゆっくりと一つ瞬きすると、軽快に湖の反対側へ駆けて行ってしまった。




アレキサンドリア城の隠し部屋にて】


「あの方の一族は代々女王の魔力を注がれて成長し、次代を繋いでいるようでしたよ」

「女王の魔力で繁栄?なんとも不確定要素が多すぎる不安定な生き物だな」

「長命とも言っていましたから多少のことでは絶滅しないと思うんですけどね……」

「それほどユルゲンシュミットは危うかったということだ。国の礎の魔力を感じ取れる生き物なのだろう?国が滅びに向かっているときに彼らが滅びに向かうのもまた道理のような気もするが……。それにしても女王と共生の関係にあるとは面白いな」

「共生、なのですか?」

「恐らく。女王というのは王に比べれば不利な存在と言わざるを得ない。この角や鬣を用いて何に利用したのかまでは分からないが互いに利用し、利用され、古くから支え合ってきたのではないかと思う」

「え!?じゃあ、これらはエグランティーヌ様に必要ということですか?」

「ツェントになりたい男のツェント候補などどこにもおらぬのだから必要ないだろう。それに真の意味で彼女が女王になれば再び彼らは女王を湖に呼ぶはずだ」

フェルディナンドの答えに胸を撫で下ろしたローゼマインは手の中でキラキラと輝く鬣を見つめ、美しく脆そうに見えてどこか頑丈で逞しい彼らに想いを馳せた。






(終)