謝憐はそっと、その掛け軸を撫でた。
そこにはかつての自分、仙楽太子として人々から傅かれ、愛され、崇拝され、自信と慈愛に満ち溢れた神の姿が悠々と写し出されていた。
「……」
信じられなかった。
なぜこんなものがここにあるのだろう?
いや、分かっている。彼が描いたのだ。
しかし、変だろう?仙楽太子の名前を知っているだけでも奇妙だと言うのに、神図まで描けるとは。
もはや、奇妙を通り越して恐ろしさを感じてもおかしくはなかった。
けれども今、謝憐を満たしていたのは喜びだった。感動と言っても良い。
こんな美しい神図を見たのは生まれて初めてだった……
かつて仙楽国では、優れた絵師たちが太子悦神の姿を競うようにして描いた。
高価な紙、希少な絵具、稀有な才能、惜しみ無い時間。それらを費やし出来上がった悦神図は国の宝といっても過言ではないほどの出来栄えで、当時謝憐はいくつもの太子悦神図を見てその出来栄えに満足し素晴らしいと感じていた。
見開いた両目から涙が零れる。
拭われないそれは大粒となり、真下に落ちるたびに音を立てた。
素晴らしい悦神図は五万とあった。
けれども涙を流したのは初めてだった。
誰が800年も前に没落した神を覚えているだろう……
どこに疫病神を祀る者がいるだろう……
謝憐の姿を知る者などいない。
文献も残っているか怪しいものだというのに。
謝憐はこの太子悦神図に釘付けになった。
仙楽太子を知り、その姿を描くことが出来る者がいる。これは奇跡としか言いようがない。
そして、この神図は例えようもなく温かかった。
太子悦神の微笑みは柔和で自然であり、衣装は彼自身が巻き起こした風で優しく靡いている。
片手に持つ桃の枝からは花びらが舞い、まるで彼を祝福しているかのように画面を埋めている。
謝憐はこの紙上で慈しまれ、愛され、敬われていた。
それは、長らく謝憐に齎されていないものだった。
……三郎にお礼を言わなくては。
謝憐は眦に残る涙を拭い菩薺観を出ると、庭を掃き清めていた少年に駆け寄った。