ペンを額に

霜月のブログ。当ブログは記事に大いに作品のネタバレを含みます。合わない方はバックしてください。

シャドーハウス おじい様の正体 考察

思ったんだけど、シャドーって傍に「顔」がいるからその人だと分かるだけで、もしケイトがルイーズの服を着てルイーズの声と態度を真似て傍に「顔」がいなかったらさぁ、みんなケイトをルイーズだと思うんじゃないかな?

つまり、何が言いたいかって言うと、おじい様の正体。大人は皆一体化が済んでいるからすでに「顔」はいない。おじい様に向かって「顔を見せて」という人はいないし、言われても無視すれば良い。つまりさ、どこかの時点でおじい様が他の誰かと入れ替わってても誰も気づかないんじゃないかって思う。

まぁ、結論から言えばクリストファーがおじい様に成り代わっているのではないかと思ったんです。上記のカラクリに加えてクリストファーの能力が分からないこと。クリストファーはとても優秀であること。クリストファーは一体化を受け入れられなかったこと。クリストファーの自殺の内容が明瞭でないこと。アンソニーの逃亡に誰も気づいてないこと。物語として、一体化した大人のシャドーは常に顔を晒せば良いのに上位者になるにつれて顔を隠す(顔を見られないようにする)という設定の違和感(これは一体化していないシャドーでも大人になりすますことが出来るというカラクリ作りに思える)

子供たちの前で一体化した姿を見せないのは、子供たちに「一体化」というものを隠すためだと言われているけれど、その説明が理由として弱いというのも挙げられる。一体化した姿を見せたところで大人になれば顔を得る(真似る)能力が得られるようになると嘯き、それがまだ出来ない子供たちに対して

傍に居る「顔」を名刺変わりに使うように、将来のために「顔」を良く見ておくんだよなどと言えば別に将来自分が「顔」を乗っ取るとは思わないだろう。そうやってどうとでも言いくるめられそうな子供に対して、敢えて「一体化」を隠し、普段の生活で大人は顔を晒さないという習慣を作っているのは、入れ替わりというカラクリを物語内に入れるためではないかと思いました。